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あなたにかけているもの

2023年6月18日 礼拝メッセージ要旨「あなたに欠けているもの」 マタイによる福音書19章16〜30節(マタイ講解60) 山田雅人

▼一人の財産持ちの青年がイエスのもとに着て、「永遠の命」を得るには何をすべきかを尋ねる。イエスは「掟を守りなさい」と答え、モーセの十戒とレビ記からの一部を語る−「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい」。
▼青年は「そういうことはみな守ってきました」と返答する。マルコとルカの並行箇所では、これを聞いてイエスは「あなたに欠けているものがある」と語るのだが、マタイでは青年自ら「まだ何か欠けているでしょうか」と答える。自分に出来ることはすべてやって来た、という自信に満ちている。しかしイエスは、欠点がないと思われる彼の生のあり方に、鋭い批判を突き付ける−「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」。
▼この厳しい命令は、もう一つ善い行いをしなさい、という要求を付け加えたのではない。それをすることが誰のためなのかを悟らせたかったのだ。メッセージ題にしたように、マルコとルカのイエスは、「あなたに欠けているものが一つある」と言っている。この一つとは、付け加える一つではなく、決定的な一つである。それは自分を投げ出して相手を生かす、他の人々と共に生きるということだ。自分が正しく生きることにこだわって相手のことを考えないのではなく、相手と共に生きる。自分の持ち物にこだわることなく、屈託なく、自由になること。持ち物から解放されることが、永遠の命に生きることだとイエスは言ったのだ。
▼「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」−有名なこの譬えは「不可能」の意。続けてイエスは「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言う。これこそが金持ちの男の間違いを指摘する言葉だ。つまり、人はどんなに努力しても、自分から永遠の命を持つことは出来ないということだ。永遠の命とは、人間的な保証の何もないところで、神によって保証されるものだということだ。従って、人間の側が為すべきことは、この徹底的な神の側の賜物について、我々は確実さを言い表すのではなく、むしろ自分の不確実さを言い表すことである。
▼それは突き詰めて考えれば、もしこの資産家が財産を全部施したとしても、それも神の国に入れることの保証にはならない、ということだろう。たとえ巨万の富を投げうっても、神の国に入ることの保障にはならないのなら、我々に求められているのは、それほど自分はどこから見ても神の国にふさわしくない者だということを言い表すことだ。まず戒めを守らなければ、と重苦しく考えるのではなく、自分の側には救われる可能性が全くありませんと告白するその時にこそ、思いがけなく神の側からイエスを通して約束してくださった永遠の命が与えられるのだろう。


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