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ひくみにおりるかみ

2023年4月23日 礼拝メッセージ要旨『低みに下りる神』マタイによる福音書17章1〜13節(マタイ講解51) 山田雅人

▼山の上でイエスの姿がこの世のものとは思えないほど輝き、モーセとエリヤと語り合っていたという、いわゆる「山上の変容」の物語。直前の段落で、イエスは弟子たちにはじめて、自分が多くの苦しみを受けて十字架で殺され、3日目に復活することを語っており、それから6日後にこの出来事は起こったとマタイは記す。
▼このような出来事に遭遇すれば、誰でも戸惑うだろう。弟子の一人のペトロが戸惑いつつ言う−「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」。このわけの分からない、滑稽とも思える言いようは、弟子たちの混乱と、揺れ動く思いの大きさを表している。
▼その時、神の声が聞こえてくる−「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」。これは3章17節のイエスの洗礼の時の声と同じで、神からの再確認の言葉だ。この声を聞いた時、弟子たちははじめてひれ伏して、非常に恐れた、と記される。弟子たちはイエスの姿が変わったことには恐れを抱かなかったのに、「これに聞け」という神の言葉に恐れ慄いたのだ。「イエス・キリストに聞きなさい。この者は神の子である。神の御心に適う者である。この者に全身全霊をかけて、聞き従わなければならない」−この神の言葉を聞いた時にはじめて弟子たちは恐れたのである。
▼なぜ恐れたか。彼らは事実、最後までイエスに従うことが出来なかったからだ。山上の変容の物語は、もとは三人の弟子に対するイエスの復活顕現物語であって、それがイエスの生前に遡って繰り入れられたのだという推定がなされている。十字架にかかるイエスを見捨てて、離れてしまった弟子たちの、激しい後悔の念、「イエスに聞き従え」と言われた神の言葉に従えなかった弟子たちの自責の念が、ここに記されているのだ。
▼イエスを見捨て、イエスに聞き従えず、その十字架の死のあとも逡巡を続ける弟子たちに、イエスは言う−「起きなさい、恐れることはない」。イエスはこの後、山を下っていく。山の上で現された栄光に留まることをされなかった。イエスは栄光に満ちた高いところを下り、再び、十字架への道へと歩みを続ける。我々が見るべきは、イエスがこの世離れした光を放ち、天の上に座すような情景ではなく、ただ我々が聞くイエスの言葉だけである、ということを聖書は訴える。「恐れるな、そしてイエスに聞け」と言われる、低みに下ってこられるこの神の言葉を心に刻みたい。
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