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つきぬたから

2023年3月5日 礼拝メッセージ要旨 「尽きぬ宝」 マタイによる福音書 13章 44〜52節(マタイ講解44) 山田雅人

▼最初の「宝の隠された畑」と二つ目の「高価な真珠」のたとえに共通して語られるのは「持ち物をすっかり売り払う」という点だ。見つけ出したら、全財産を投げうってでも買う価値がある。それが「天の国」であるというのだ。前回の「からし種」、「パン種」が「教会」を表していたのに対し、ここでの「天の国」は、神の言葉=「福音」を指しているようである。
▼今までただの畑であったのに、思いもよらない宝が隠されていた。しかしその喜びは、見つけた人にしか分からない。周りの人は、宝を見つけた人がわざわざあんな畑を買って、嬉々としている事を不思議に思うだけだろう。今までは不幸だ、苦しみだ、あってはならないと思っていた事が、むしろ信仰によって、幸いであり、喜びであり、意味あるものと知らされる。そして周りの人たちは、あの人は普通なら悲しんでいるはずなのに、どういうわけか喜んでいると、不思議がっている。そんな、人の心を動かす神の言葉のことが言われているのだろう。
▼高価な真珠を見つけた商人は、真珠の目利きのプロだろう。そんな彼が持ち物を売り払ってでも買うほどの、絶対的に高価な真珠とは何か。真珠のプロが、ある時、自分の持っていた価値観を覆すほどの価値観に出会ったということだろう。今までの人生における拠り所が、例えば地位、名誉、財産といったものから、イエス・キリストの神が人生の拠り所とさせられた、という事だ。これまでの生きる規範が覆される、それが神の言葉である。
▼宝が隠された畑のたとえでは、宝は畑から切り離せないものとして考えられている。もし宝だけを持ち帰ったり、畑に隠しておいていつかそれを利用しようとしたり、全財産を売り払って畑そのものを買うことをしなかったとする。するとこの農夫は、自分の生活を変えないで永遠の命を欲しがった「金持ちの青年」(マタイ19:16以下)と同じである。イエスは彼に対して全財産を貧しい人に施して、私に従って来なさいと言われた。すると青年は悲しい顔をして立ち去っていったという。つまり、自分の今の生の根拠を根本的に転換しないで、宝物だけを獲得しようとしても、それは無理だということなのだろう。
▼「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病や患いをいやされた」(4:23)−このイエスの「御国の福音」を、畑に隠されていた宝物のために全財産を売り払ってその畑を買おうとした小作人のように、また高価な一つの真珠を買うために、自分の持ち物をすべて売り払った商人のように、我々は求めて生きているであろうか。イエスの語る生ける神の言葉、いつまでもなくならないで永遠の命に至る、尽きることのない宝を求め続けて生きる者でありたい。
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