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そうぞうのわざはいまも

2023年2月26日 礼拝メッセージ要旨 『創造の業は今も』  マタイによる福音書 13章 31〜35節(マタイ講解44) 山田 雅人

▼24節の「毒麦のたとえ」から、イエスは「天の国」のたとえを語り始める。マタイが「天の国」と記すのは、「神の名をみだりに唱えてはならない」の律法を守ろうとするマタイの姿勢の表れで、実際には「神の国」、より厳密には「神の支配」と訳すのが適切だ。ちなみにキリスト教で「天国」と言われるのは、マタイの天の国を中国語訳聖書が「天国」と訳したのが原因のようである。
▼当該箇所で、イエスは神の国を、前半では「からし種」、後半では「パン種」にたとえている。マタイにとっての「天の国」とは、前回学んだように、この世に存在する「イエスの共同体=教会」を意味する。2つの譬えは同じメッセージを伝えている。教会は、現在は目に見えないぐらい小さく、みすぼらしいが、やがて世界中の人々が目を見張るように成長するだろう、ということだ。これらは、ただ小さなものが大きくなるというだけの話ではなく、それは人間の手によらない、神の働きによるという話でもある。
▼2つの譬え話には違いもある。「からし種のたとえ」では、単に取るに足りないような小さな教会がやがて大きくなることが述べられているが、「パン種のたとえ」の場合は、パン種自体が大きくなるのではなく、パン種が粉に影響を与えて全体が膨れ、パン種が粉全体の質を変えるということである。つまり教会が存在することによって、その世界全体が影響を受け、質が変わるということだ。パン作りが人間よりもイースト菌の影響下にあるように、教会の存在意義も、人間の計画よりもむしろ神の導きが優先することが言われているのだ。
▼イエスは、既成の宗教指導者たちが説いたように、神の国は戦争や地震や飢饉のあと、この世の終わりにもたらされるのだとは言わなかった。そうではなく、現実の生活の只中に神の国を見た。マルコの「成長する種のたとえ」でイエスは神の国をこうたとえている(4:28-29)−「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」。蒔かれた種は、自然の営みの中で、自然に芽を出し成長し実を結ぶ。神はそういうものとして種を作り、また、人間を作られたのだと。
▼ここには、律法を遵守しなければだめだとか、朝晩礼拝と献げ物をしなければ、禁欲的に自らを鍛えなければ、などという人為的なものは何もない。種は自然と実を結ぶ、小さなからし種はおのずと成長して大木になる、イエスはそういう自然の営み、今も休むことなく続く神の創造の業の中に、神の国を見たのだ。
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