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ちえのはじめ

2022年11月27日(アドヴェント第1) メッセージ要旨 『知恵の初め』  マタイによる福音書 10章 26〜33節(マタイ講解㉚) 山田 雅人

2022年11月27日(アドヴェント第1) メッセージ要旨 『知恵の初め』 
マタイによる福音書 10章 26〜33節(マタイ講解㉚) 山田 雅人
▼直前の16〜25節に引き続き、初期のキリスト教会がユダヤ教やローマ帝国から激しい迫害を受けていたことが伺える箇所です。特にマタイの時代は、暴君として名高いドミティアヌスがローマ皇帝についた頃です。彼は自らを「主にして神」と呼ばせ、皇帝礼拝を強要し、それを受け入れなかったキリスト者たちは激しい迫害にさらされていきました。「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」(27節)、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(28節)−これらは、見つかって捕まれば殺されるような状況で、しかしそのことは恐れるに足りないことなのだという、イエスの激励の言葉として記されています。
▼イエスは今日の箇所で「恐れるな」と繰り返します。イエスは迫害が待ち受けていると知りつつ、弟子たちを宣教へと派遣し、恐れることなく、信仰をねじ曲げることなく、わたしの言葉と振る舞いをそのままこの世にぶつけていきなさいと、励ましをもって送り出しました。この世には必ず福音を拒絶する力が働くだろう、迫害が待ち受けているだろう。しかし、恐れることはない。希望はその先に必ず用意されていると語るのです。
▼28節後半の「むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」という言葉から思い起こすのは「主を畏れることは知恵の初め」という、箴言の1章7節の言葉です。世の中には色んな知恵がありますが、人間の根源的な問題を解決してくれる知恵、つまり人間は何のために生まれ、どこへ行くのか、そして何のために、どうこの世の生を全うするのか、という問題を解決してくれる知恵は、「主を畏れること」、つまり神を信じること以外にない、というのが旧約聖書の著者たちの信仰の結論です。
▼使徒言行録の4章に、イエスの復活を宣べ伝えていた弟子のペトロとヨハネが捕らえられる物語があります。「お前たちは何の権威によって、誰の名によってああいうことをしたのか」というユダヤ教当局の質問に対してペトロはたった一言、聖霊に満たされてこう答えます―「あのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」。無学で普通の人間であるイエスの弟子たちの大胆な態度に対し、ユダヤ当局者たちは一言も言い返せませんでした。彼らが最も恐れたのは、「ナザレ人イエスの名」によって宣教がなされていくことでした。
▼私たちは、キリスト者にとって迫害のない一見幸福な時代にあって、もう一度イエスの「恐れるな」という言葉を聞き取りたいと思います。この世の道理に立ち、この世の知恵で賢く振舞っていこうとすると、神よりも物、祈りよりもお金、危険よりも安穏、という誘惑を受けます。その中で、主を畏れることは知恵の初め―知恵の源である主がすべてをあらしめてくださる方である、との信仰に立つ勇気を常に与えられ続けながら、歩まされて行きたいと願います。





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