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2021年9月12日 「同じ地平に」 マタイによる福音書 18章 1〜5節  山田 雅人             

2021年9月12日 「同じ地平に」
マタイによる福音書 18章 1〜5節 山田雅人
▼「天の国では誰が一番偉いのですか」という弟子たちの質問に対し、イエスは「天の国では子どものような者が一番偉い」と言った。現代では驚く発言ではないだろうが、子どもの存在価値が極めて低かった当時のユダヤ社会では、周囲の驚く、常識はずれな発言であったに違いない。
▼ここでイエスの言う子どもの優れた点とは、無邪気さや純粋さ等のプラス面ではなく、子どもの持つ「依存感情」のことを指しているのではないかと思う。子どもは親に頼らなければ生きていけないことをよく知っていて、それゆえに徹底した、親に対する絶対的な依存感情であり、信頼である。「子どもが親に頼らなければ生きていけないように、あなたたちも神に頼らなければ生きていけない。あなたたちはそのことを忘れていないか」、イエスはそう弟子たちに指摘したのだろう。
▼「心を入れ替えて子供のようにならなければ〜」(3節)―「心を入れ替える」とは、生き方の方向転換を意味する。自分の力に依り頼んで生きるのではなく、神に依存して生きるように心を入れ替えることだ。「自分を低くして〜」(4節)―自分を低くするとは、謙虚さを心がけるというよりも、神の前に自分がいかに小さい存在であるかに気づくことである。「私の名のためにこのような一人の子どもを受け入れる者は〜」(5節)―子どもを受け入れるとは、受容することである。受容とは、同じ目線に立つこと、同じ地平に立つことを意味する。神に依存して生きることを知ることが、子どもと同じ地平に立つ、ということなのだ。
▼ただし、相手と同じ地平に立つということは、ただ目線を同じにすればいいというわけでも、ただ向き合えばいいというわけでもない。同じ地平に立つとは、同じ方向を見つめて、共に同じゴールを目指すことである。忘れてはならないのは、その時その同じ地平には、イエスが立って下さっているということだ。
▼ご自身自らがすべての人の後になり、すべての人に仕え、小さき者と同じ地平に立って下さるイエスを受け入れることが、神を受け入れるということである―「わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(マルコ9:37)。

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