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ふっかつとはしゅをしること

エゼキエル書 37章 1〜14節 「復活とは主を知ること」 2020.5.31 山田雅人

▼エゼキエルはエレミヤとほぼ同時期に南ユダで活動した預言者であり、思想的にもエレミヤの影響を強く受け、アモス、ホセア、イザヤら先輩預言者の言葉の引用も多く出てくる。エゼキエル自身、バビロニアに連れて行かれた捕囚民の一人だったが、エルサレム神殿に仕える祭司の出身であった彼の社会的な地位は高く、捕囚の地でも指導的な立場にあった。
▼エゼキエル書には幻の記事が多く出てくるが、幻視体験による報告という形式は、預言書文学の一つの表現技法である。「枯れた骨の復活」の幻の記事は、エルサレム陥落を捕囚の地バビロンから伝え聞いたエゼキエルが、「イスラエルは神の新しい霊を受けて再生する」という未来の希望を、絶望の中にあった捕囚民に向けて語ったものである。
▼長い間風雨にさらされて白骨化した「枯れた骨」の風景は、長い年月にわたって神に背き続けた民の姿―異教崇拝に走り、唯一の神ヤハウェに立ち帰らなかった、イスラエルの罪の歴史の姿であった。「これらの骨は生き返ることができるか」と問いかけられる神に対し、エゼキエルが答えることができたのは、「主なる神よ、あなたのみがご存じです」という一言だけであった。祖国の滅亡に加え、エゼキエルは最愛の妻も失っていた(24:18)からだ。
▼そのエゼキエルに、神はこれらの骨に向かって預言するように命じる。「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」。枯れた骨とは、我々にとっても日々おとずれる、たとえ体は生きていても死んでいる状態でのことだ。そのような我々は、主の言葉を聞くときに生き返るのだと聖書は語るのだ。
▼復活とは、主を知ること。このことは、ルカ福音書15章11節以下に記される、放蕩息子の譬えにも語られる。「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(24節)、「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ」(32節)。遠く離れていたのに息子の帰ってくることをじっと待ち続けていた父、すなわち、父なる神のもとに立ち帰っていくこと、それが死者からのよみがえりであり、復活であるとイエスは語っている。
▼我々が神を求める前から、神は我々を訪ね求め、探し出して下さる方である。死んでいる我々を生き返らせて下さるのは、神が吹き込まれる命の息であるイエスご自身である。散乱していた白骨が、イエスの御言葉によって、カタカタと音を立てて寄り集まり、筋と肉と皮膚をつけ、新しい命を生きる者とさせて下さるのだ。






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