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なをよばれて

ヨハネによる福音書 20章 11〜18節 「名を呼ばれて」 2019.04.21 イースター

ヨハネによる福音書 20章 11〜18節 「名を呼ばれて」
           2019年4月21日(イースター) 山田 雅人 
▼イエスの墓の外で泣き続けるマリアに、二人の天使が現れる。マリアが墓穴の方を向いて天使と会話している時、振り向くとそこにはイエスが立っていた。しかしマリアはそれがイエスだとは気づかない。彼女の目と心は前方の遺体と墓という「死の領域」に向けられており、背後に立つ復活者のいる「生の領域」には気づかないのだ。
▼それがイエスだと分かったのは、イエスに「マリア」と名前で呼ばれ、本能的に「ラボニ(=先生)」と答えて再び振り向いた時だった。イエスに自分の名を呼ばれ、生前のイエスとの交わりに引き戻された瞬間、目の前にいるのがイエスだと気づく。つまり、復活者イエスが分かるということは、イエスとの交わりの中に引き戻されることだとヨハネは主張するのだ。遺体や墓という死の方向を見つめていては復活は理解できない。名前を呼ばれ、振り向き、イエスに答えるという、イエスとの人格的なつながりの中に引き戻されることが「復活」だということだ。
▼聖書の中には、イエスが死んで墓の中に納められたあと、むっくりと起き上がり、棺を破って外に出て行った、というような描写は皆無である。ヨハネ福音書の描くイエスの復活も、そのような概念ではない。もしマリアがそのような復活者を期待して、墓穴をじっと見つめていたとすれば、復活のイエスには出会えない。だからヨハネはマリアは振り向かせる。
▼復活者イエスは、「私にすがりつくのはよしなさい」とマリアをたしなめる。マリアがイエスとまた昔のように名前で呼び合い、この世でまた付き合うことができると考えていたからだろう。イエスはそれを戒める。復活とはそういうものではない、と。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ天の父のもとへ上っていないのだから」は、言い換えれば「イエスが天の父のもとへ上れば、すがりついて良い」ということになる。私たちはイエスと手の触れる近さにはなくても、イエスにすがりつく事が出来る、イエスとつながっていることができるということだ。それが復活の意味である。
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