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かみをみたひと

創世記32章23〜33節 「神を見た人」 2018.9.23

▼双子の兄エサウを騙して長子の特権を得、兄の復讐から逃げて叔父ラバンのもとに身を寄せ20年、ヤコブは故郷に帰る決意をする。冨を築き成功し「故郷に錦を飾る」はずの帰郷が、彼にその喜びはない。兄に殺されるに違いないと思っていたからだ。ヤコブは事前に兄の様子を探る為に使者を派遣するが、エサウが400人を連れてこちらに向かっている事を知り、恐怖に包まれ、神に祈る。
▼この祈りの中で神が現れ、夜明けまでヤコブと格闘するという不思議な出来事が起こる。この経験は、ヤコブの夢の中での祈りの格闘であったのだろう。ヤコブの祈りに神が答えられ、自分の知恵と力に頼るヤコブの腿の間接を外して、ヤコブを無力な者にされたのだ。しかしヤコブがそれだけでは気が済まず、あくまでも神の祝福を求めてしがみつくので、神はそれに答えて、ヤコブに名を変えるように言う。今日の物語を境として、ヤコブは神と出会っていない人から、神と出会った人に変えられたのだ。
▼ヤコブは31節で「わたしは顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」と言っているが、「神を見た」と言うのは、文字通り神の顔を見たというよりも、神との実存的な出会いのことを言っているのだろう。それが、「ヤコブ」から「イスラエル」に名前が変わったことの意味である。
▼ヤコブが神と格闘し、名をイスラエルに変えられた―それはヤコブが決して人間的な知恵や力で兄エサウと和解できたのではなくて、信仰によって神とまさに顔を合わせるほどに自分の弱さと向き合うことを通して、兄との和解に至ったことを意味する。ヤコブがこの信仰の戦いを通じて、本当の意味で神を信じ、その祝福に与るべき信仰者になったことを「ぺヌエルでの格闘」物語は説明する
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