聖書と共に
いほうじんでんどうへ
2026年6月28日 FNH12交換講壇(岡本教会) 「異邦人伝道へ」 使徒言行録 13章 13〜25節 山田雅人
▼エルサレムで始まった初期のキリスト教には、ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者(ヘブライスト)と、ギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者(ヘレニスト)の、二つのグループが混在していた。前者は12使徒を中心とするパレスチナ出身者、後者は地中海のローマ・ギリシャのヘレニズム都市に離散し、商業活動をして生活するうちにギリシャ語を話すようになり、やがてエルサレムに里帰りをしたり、一時的に滞在していた人たちで、パウロやバルナバもそのうちの一人である。
▼12使徒を中心とするグループは、ユダヤ教の神殿崇拝や割礼などの律法遵守からなかなか脱し切れずにいた。かつて熱心なユダヤ教徒であり、ステファノ、フィリポといった異邦人伝道の先駆者を迫害したパウロが、復活のイエスとの出会いによって回心した後は全く正反対に、エルサレム中心のキリスト教から離れ、ユダヤ教律法を脱し、ユダヤ教の枠を超えて異邦人にとっても形式にとらわれないキリスト教を伝道すべく、宣教の旅に出たのである。
▼初期キリスト教のほとんどが、こうしたヘレ二ストと、それを受け継いだパウロたちによって形成されたもので、イエスの弟子の起こしたエルサレム教団のキリスト教ではないということは、とても興味深い。洗礼が行われるようになったのも、ユダヤ教の入信儀礼である割礼の代わりに行われるようになったもので、洗礼に際しては、ガラテヤ書にも記されるこの言葉が唱えられた−「もはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(3:28)。人をあらゆる意味で律法から自由にする信仰に入れた喜び、これが後のパウロの「信仰による義」に結びついていく。
▼パウロはユダヤ教からキリスト教へ回心した時だけでなく、宣教旅行でもさらに何度も自分の価値観を打ち砕かれた。その上で「わたし自身は既に捕らえたとは思っていません」(フィリピ3:13)と語る。私たちも、「自分は絶対こうあるべきだ」「こんなはずはない」という自分の価値観に基づいて日々の悩みに一喜一憂するのではなく、自分の人生が長く偉大な神の計画のうちにあることを忘れず、全てを委ねて歩みたい。パウロがそうであったように、時に自分の価値観が打ち砕かれ、自分が変えられることを恐れず、それをむしろ神の計画の中に用意されていた喜びとして受け取りたい。その意味で、パウロの宣教の旅は、我々の信仰の旅でもある。
▼12使徒を中心とするグループは、ユダヤ教の神殿崇拝や割礼などの律法遵守からなかなか脱し切れずにいた。かつて熱心なユダヤ教徒であり、ステファノ、フィリポといった異邦人伝道の先駆者を迫害したパウロが、復活のイエスとの出会いによって回心した後は全く正反対に、エルサレム中心のキリスト教から離れ、ユダヤ教律法を脱し、ユダヤ教の枠を超えて異邦人にとっても形式にとらわれないキリスト教を伝道すべく、宣教の旅に出たのである。
▼初期キリスト教のほとんどが、こうしたヘレ二ストと、それを受け継いだパウロたちによって形成されたもので、イエスの弟子の起こしたエルサレム教団のキリスト教ではないということは、とても興味深い。洗礼が行われるようになったのも、ユダヤ教の入信儀礼である割礼の代わりに行われるようになったもので、洗礼に際しては、ガラテヤ書にも記されるこの言葉が唱えられた−「もはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(3:28)。人をあらゆる意味で律法から自由にする信仰に入れた喜び、これが後のパウロの「信仰による義」に結びついていく。
▼パウロはユダヤ教からキリスト教へ回心した時だけでなく、宣教旅行でもさらに何度も自分の価値観を打ち砕かれた。その上で「わたし自身は既に捕らえたとは思っていません」(フィリピ3:13)と語る。私たちも、「自分は絶対こうあるべきだ」「こんなはずはない」という自分の価値観に基づいて日々の悩みに一喜一憂するのではなく、自分の人生が長く偉大な神の計画のうちにあることを忘れず、全てを委ねて歩みたい。パウロがそうであったように、時に自分の価値観が打ち砕かれ、自分が変えられることを恐れず、それをむしろ神の計画の中に用意されていた喜びとして受け取りたい。その意味で、パウロの宣教の旅は、我々の信仰の旅でもある。
関連記事:
参考文献:
関連サイト:
投稿日:2026年7月1日() 閲覧回数:105