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みくにのごようのために
2026年1月25日 礼拝メッセージ要旨 『御国の御用のために』 ルカによる福音書 20章45節〜21章4節(講解91) 山田雅人
▼「イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた」−神殿にはラッパの形をした賽銭箱が13個あり、うち6個が自発的な献金用であったようだ。女性が献金した箱はこのうちの一つだろう。「金持ちたち」は献金をする際、お札や金貨だと一瞬で終わってしまうので、小銭に両替したようである。敢えて小銭にして、これ見よがしにざらざらと賽銭箱に入れる様子を、イエスは苦々しい思いで見ていたのではないか。
▼この「やもめの献金」の物語の直前に、イエスは律法学者を厳しく非難する言葉を語っている−「律法学者に気をつけなさい。…そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」。「やもめの家を食い物にする」−律法学者は法律の専門家として相談を受けることも仕事にしており、相談料を取っていたようだが、ある女性の夫が死んだ後、その未亡人のお金を不当に横領したり、法外な相談料をとることがあったのだろう。
▼そんな一人のやもめが、レプトン銅貨2枚を二枚を「ちゃりん」と賽銭箱に入れるのをイエスは見ていた。金持ちたちが小銭をざらざらと入れ続けているところに、やもめが一瞬、かすかな音を立てて、薄い薄い銅貨二枚(現在の50円玉2枚相当)を入れる姿を。
▼最小単位の貨幣であるレプトン1枚という小さな額は、献金にも施しにも禁じられていた。 それは神を冒涜する行為であり、貧しい人に施しをする場合にも、最小単位の貨幣1枚だけを施すというのは、その人を馬鹿にし、尊厳を踏みにじる行為だからだ。するとこのやもめがレプトン銅貨2枚しか持っていなかったとすれば、全財産を献げる以外になかったということになる。この物語は献金の勧めではなく、食い物にされる小さく貧しい者へのイエスの優しさと、貧しい人々を食い物にする人々に対する、イエスの怒りの表れだろう。
▼このやもめは、自分ではどうすることも出来ない悩みや問題を抱え、神にすがり、祈るために神殿に行ったのだろう。献金がどうとか、人にどう思われるとか、見せかけがどうではなくて、心からの願いをもって、ただ神に祈りたかったのだろう。彼女が持っていた生活費の2レプトンには、命がけの思いが込められていたのではないか。それは義務や自己満足、虚栄に過ぎない献金とは違う。彼女は真剣さと切実さにおいても、他の誰よりも多くを賽銭箱に投げ入れたのだ。
▼私たちの献金も、教会の活動、宣教の業が、貧しく弱くされた者を愛されたイエスの思いを表し、また「やもめの家」を食い物にするような人々や社会へのイエスの怒りを表し、そのことによって神の国・神の支配の成ることを祈りつつ献げられるべきもので、「御国の御用のためにお使いください」と祈られる意味もそこにあるのだと思う。
▼この「やもめの献金」の物語の直前に、イエスは律法学者を厳しく非難する言葉を語っている−「律法学者に気をつけなさい。…そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」。「やもめの家を食い物にする」−律法学者は法律の専門家として相談を受けることも仕事にしており、相談料を取っていたようだが、ある女性の夫が死んだ後、その未亡人のお金を不当に横領したり、法外な相談料をとることがあったのだろう。
▼そんな一人のやもめが、レプトン銅貨2枚を二枚を「ちゃりん」と賽銭箱に入れるのをイエスは見ていた。金持ちたちが小銭をざらざらと入れ続けているところに、やもめが一瞬、かすかな音を立てて、薄い薄い銅貨二枚(現在の50円玉2枚相当)を入れる姿を。
▼最小単位の貨幣であるレプトン1枚という小さな額は、献金にも施しにも禁じられていた。 それは神を冒涜する行為であり、貧しい人に施しをする場合にも、最小単位の貨幣1枚だけを施すというのは、その人を馬鹿にし、尊厳を踏みにじる行為だからだ。するとこのやもめがレプトン銅貨2枚しか持っていなかったとすれば、全財産を献げる以外になかったということになる。この物語は献金の勧めではなく、食い物にされる小さく貧しい者へのイエスの優しさと、貧しい人々を食い物にする人々に対する、イエスの怒りの表れだろう。
▼このやもめは、自分ではどうすることも出来ない悩みや問題を抱え、神にすがり、祈るために神殿に行ったのだろう。献金がどうとか、人にどう思われるとか、見せかけがどうではなくて、心からの願いをもって、ただ神に祈りたかったのだろう。彼女が持っていた生活費の2レプトンには、命がけの思いが込められていたのではないか。それは義務や自己満足、虚栄に過ぎない献金とは違う。彼女は真剣さと切実さにおいても、他の誰よりも多くを賽銭箱に投げ入れたのだ。
▼私たちの献金も、教会の活動、宣教の業が、貧しく弱くされた者を愛されたイエスの思いを表し、また「やもめの家」を食い物にするような人々や社会へのイエスの怒りを表し、そのことによって神の国・神の支配の成ることを祈りつつ献げられるべきもので、「御国の御用のためにお使いください」と祈られる意味もそこにあるのだと思う。
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投稿日:2026年4月28日() 閲覧回数:85