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めにはみえないきぼうのひかり

2024年11月10日 礼拝メッセージ要旨 『目には見えない希望の光』 ルカによる福音書 8章 16〜18節 山田雅人

▼直前のルカ8章4〜15節の「種まきのたとえ」で、「種」は「人間」を表していると解釈した。同じように当該箇所でも、「ともし火」は「神の言葉」や「イエスの教え」ではなく、「人間」そのものを表すと読めばどうだろうか。すると、ともし火とは、人間の命、命の光を表していると言える。その命の光は、器で覆い隠したり、寝台の下に置かれるために灯されたのでない。誰の目にも留まらないところで、誰の役にも立たないところに置かれるために灯されたのではない。そういう主張が見えてくる。
▼イエスの周囲には、社会の不条理や不公平の中で、人間らしく生きる場所を与えられず、その人の賜物や尊厳を認めてもらえない人たちが多く集まっていた。その現実はまさに、同じように命の炎を灯されながらも寝台の下に置かれるような現実ではなかったか。そんな人たちに向かってイエスは、「あなたがたは世の光である」と語った(マタ5:14)。しかも「光になりなさい」とか「これから光になるのだ」ではなく、「私と出会ったあなたは、もう既に世の光なのだ」と語るのだ。これは我々の都合や願望を度外視した断定である。
▼今回のメッセージ題を「目には見えない希望の光」としたが、これは創世記の天地創造物語で、神が最初に造り出したもの−「神は言われた。光あれ」(1:3)。この光は太陽や月や星の光ではない(太陽、月、星はこの後16節で造られる)、電気やろうそくの光ではもちろんない。それは目には見えない希望の光、我々が生きていく上で本当に必要とする光のこと。そういう光を神は全てのものに先立って造られたというのが創世記の著者の主張だ。そして新約聖書は、神が最初に創造されたその「光」こそ、イエス・キリストであったと語る。イエスは神が太古の昔に造られ、今に至るまで生きている光であり、命を持ち続ける光であり、人間の生きる土台となる光であると(ヨハ1:1-5)。
▼すべての人々が、この世の悩ましい現実の中にあって、神に与えられた命、神によって灯された命の炎を精一杯輝かせて生きるべきことをイエスは語った。ともし火が燭台の上に置かれ、光を放ち、周りを照らし暖めるように、自分が与えられた命、灯された命を精一杯生きたいと思う。そのような信仰を持つ人に時に励まされ、我々もまた与えられた命をもって周りを照らし暖めるものでありたい。命の光を見えない所に隠す者ではなく、また命の光を寝台の下に押し込めようとするこの世の不条理に抗いながら、与えられた命、残された命を燃やす者でありたい。
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