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けんいはつかえることから

2021年10月10日 「権威は仕えることから」 ローマの信徒への手紙 13章 1〜7節 山田 雅人

2021年10月10日 「権威は仕えることから」
ローマの信徒への手紙 13章 1〜7節       山田 雅人             
▼「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(13:1)―ここには、「国家権力に服従すべし」とパウロが主張する理由が述べられている。この世のどのような権力も、人々に秩序と保護と平和を与えるために神が創られた御業であるというのだ。このことは、言い換えれば、神に由来しない権威は権威ではない、神によって立てられていない権威は権威ではない、ということだ。
▼権威、権威者とは「神に仕える者」であるとパウロは定義する(13:4,6)。つまり、神に仕えることが真の権威を生み出すのであって、神に仕えることを忘れるならばそれは権威ではないというのである。「神に仕える」という言い方は、聖書では馴染みの深い言葉だが、イエスの言葉の中にも多く出てくる。
▼荒れ野の誘惑(マタイ4:8〜10)の記事で、イエスはパウロと同じく「権威」というものと併せて「神に仕える」ということを語っている―「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。世の全ての国々とその繁栄を手に入れることが、サタンの言う権威だが、イエスは、ただ主に仕えることが権威であると語る。真の権威を求めるなら神と人に仕えよ、というのがイエスの主張であった。
▼この世には見せかけの権威があり、それが人の命を脅かす悪である場合もある。我々にも、神に由来せぬ権力、神と人とに仕えぬ権力から出される要求を、神のために拒否せざるを得ない場合があり得る。それに対してパウロはこう語る―「悪に負けることなく、善を持って悪に勝ちなさい」(12:21)。
▼パウロが仕える主とは、十字架にかけられし者、すなわち国家の手によって処刑された者であった。神と人とに仕えた真の権威者は、神に由来せぬ権威によって、殺された。しかしそれは、弱さの極みと思えた十字架に象徴される真の権威が、この世の強さという権威に勝利した瞬間でもあった。それゆえ教会も、十字架のイエスが善をもって悪に勝ったように、神の愛に依り頼むならば、おのれに襲い掛かる全てのことに打ち勝って、なお余りあるのだ。
▼洗礼は、水に身を沈める、低い所に体を沈めることを意味する。真の権威者たるべきキリスト者は、まず自分自身を一番低いところに沈め、神と人に仕えることから新たな生を始める。この道から離れることなく進む時、我々は神と人に仕えたイエスという真の権威者と共にあり、何も恐れることなくその生き様を継承して生きることが赦され、何にも阻まれることなく神と共にある永遠の命に与ることができるのだ。
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