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さだめられたときへ

2021年9月26日 「定められた時へ」 コヘレトの言葉 3章1〜11節 山田雅人

2021年9月26日 「定められた時へ」 
コヘレトの言葉 3章 1〜11節 山田 雅人             
▼我々が日常経験する行為や出来事が列挙される。コヘレトはこれらには全て一定の「時」があると語り、そしてその「時」は、神によって定められた永遠の相の下にあり、人間には見極め得ない(11節)と言う。人が時をコントロールできるわけではなく、かといって偶然が世界を支配しているのでもなく、時は我々に与えられる一つの提供であり、神の賜物である。そこでコヘレトが得た結論が9節の言葉−「人が労苦してみたところで何になろう」である。
▼この言葉は、山上の説教のイエスの言葉「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな」(マタイ6:31)を想起させる。どちらも神に対する信頼を我々に思い起こさせる言葉である。コヘレトは11節でこう続ける−「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる(直訳は『それらの中に永遠性を付与した』)」。つまり、何事にも時があるとコヘレトの言う諸々の人生の営みに、神は永遠性を与えた、と言うのだ。
▼「時宜にかなうように」は、「神の定められた時に向かう」の意。コヘレトは「あなたの地上のあらゆる営みは全て、神の定められた永遠の時へと向かっているのだから安心しなさい」と言うのだ。神は我々の人生の営みの中にしかるべき時を定め、時に応じた計画を為し、人は死ねば終わりの存在ではなく、神と共に永遠に存在できるのだ、と思える心をも与えてくれている。その神の業は、「人間には始めから終りまで見極めることは許されてい」ない(11節)。だからこそコヘレトは、彼が空しいと詠う現実世界の「空」を認識し、その上で無常の現実を誠実に生きようとした。それが神の意志であると確信したからだろう。
▼イエスも「思い悩むな」の後続けて、コヘレトと同じく神の永遠について述べる−「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)。神の国とは、神によるこの世の支配を意味し、神の義とは、パウロが「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです」(ロマ3:22 聖書協会共同訳)と記すように、全ての人が全くの無条件で神に赦されているという福音である。その神の国と義を第一に求めるなら、あなたが日常で求めているこの世的なものはすべて与えられるとイエスは言うのだ。
▼生、死、出会い、戦い、平和、等、すべての物事は、人が見極められない神の定められた時に向かっている。我々にはその神の意志をすべて理解することは出来ないが、その神の意志を求め、それを僅かながらでも知って、より相応しいものを選び取っていく事が、人間の限界かつ人間の可能性でもあるのだろう。
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