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2021年5月9日 「祈る時には」 マタイによる福音書 6章 5〜15節  山田 雅人

2021年5月9日 「祈る時には」
マタイによる福音書 6章 5〜15節  山田 雅人

▼我々が普段祈っている主の祈りの起源はユダヤ教の祈りにまで遡る。イエスがそれらの抜粋を合わせて簡潔にし、自分自身の言葉を加えたものに、初期の教会の編集が加えられたものがマタイとルカの二つの福音書に残された。「父よ」という呼びかけと、「今日のパンが欲しい」という願い― この二つにイエスの独自性が最も現れている。
▼公式の場で、己の信仰の業績を述べ、それが神に聞き届けられる祈りの条件なのだとするようなユダヤ教の祈りのあり方に、イエスは疑問を持ったのだろう。イエスはこうした従来の祈りの公式化から人々を解放し、子と父の対話としたのだ。そして主の祈りの内容そのものも、あくまでも祈るための助け、指針であって、決して束縛ではなく、これに沿って祈ることが許されているということを意味したものだ。
▼ルカ福音書の並行箇所(11:1-4)の直後に語られる「夜中にパンを求める友」の譬えと、「求めなさい。そうすれば与えられる」という言葉からは、ローマ帝国、ヘロデ王家、宗教的貴族階級からの収奪に喘ぎ、飢饉によって生命も危険にさらされていた民衆の「無事にその日その日のパンがほしい」という気持ちをイエスが代弁したのだということがわかる。
▼主の祈りを教えたイエス自身、いつもこの簡潔な祈りを祈っていたわけではないだろう。「祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(6節)と言う通り、彼は弟子たちのために、必ず一人で、隠れた所で長い時間祈った―「イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカ6:12)、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ22:32)。イエスとて人一倍祈りを必要とする人間であったのだ。
▼公の場で「主の祈り」を祈ることを弟子たちに教えたイエスの背後には、弟子たちのために一人で祈ったイエスの姿があった。その姿は、教会の礼拝の中で公に「主の祈り」を祈りながら、我々の知らないところで、一人隠れて祈ってくれている一人一人の姿と重なる。イエスがそうであったように、我々も人一倍他者の祈りを必要とする者であること、そして他者のために祈る必要がある者であることを、改めて覚えたい。
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