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いのちのかて

2021年2月21日 「いのちの糧」 マタイによる福音書4章1〜11節 山田雅人

▼洗礼者ヨハネと袂を分かったイエスは「神の御心は何か、自分はこれから人々に何を語り、何を行ない、何をもたらすべきか」―ひたすらこのことについて悩み、神に祈り、最終的に荒れ野から出て、故郷のガリラヤで活動をすることを決意する。このイエス自身の心の内における霊的な戦い、心理的な苦闘を描いたのが荒れ野の誘惑の物語であろう。
▼「もしお前が神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」―第一の誘惑は、40日の断食の後という極限的状況において、なお人を本当に生かすものは何か、という問題である。イエスはこれに対して申命記8章3節の言葉で答える―「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」。イエスはこの後の第二、第三の誘惑に対しても、同じ申命記の言葉で答える。「あなたたちの神、主を試してはならない」(6:16)、「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい」(6:13)。
▼イエスの発言に共通していることは、「人は御言葉によって生きる」ということだ。荒れ野でイエスが最も考え抜いたのは、「自分はすべての人に何をもたらすべきか」という問題であったのだろう。それは、パンという肉の糧ではなく、御言葉という霊の糧、心の糧であった。
▼聖書の言う「生きる」とは、人間の肉体的な生命(プシケー)を生きることではなく、神と共にある真の永遠の命(ゾーエー)を生きることが意味されている。パンは確かに肉体的な生命を養うが、肉体を維持することが生命の全てではない。我々は、魂や霊が神の言葉によって養われて、初めて真の命を生きることができるからだ。イエスは人を真に生かすために、御言葉といういのちの糧をもたらすべくその生涯を歩まれた。
▼イエスは荒れ野の誘惑を通して、何が人間の弱点であり、悩みであるかを知り尽くされた。そして、自らこの誘惑と戦い、これに勝ち、その生涯と十字架の死と復活を通して、神に従う者の勝利の道を示された。「肉の糧」ではなく、「心の糧、いのちの糧」たる御言葉によって苦難に打ち勝たれた。我々の弱さを知っており、あくまでも御言葉に固く立って生き続けたイエスの生涯の帰結が、復活・イースターであることを覚え、受難節の日々を過ごして行きたい。

 
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