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ふくいんのはじめ

2021年1月24日 「福音のはじめ」 マタイによる福音書 4章 12〜17節 山田 雅人

▼イエスは洗礼者ヨハネの逮捕を契機に、故郷ガリラヤで宣教を開始する。この時「およそ三十歳」(ルカ3:23)。ここで「悔い改めよ、天の国は近付いた」と宣言し、「御国の福音をのべ伝え」、「民衆のあらゆる災いや病をいやし」(4:23)始める。律法を守れない言われなき「罪人」に「神はあなたを愛している」というメッセージを伝え、差別に追いやられた病者を癒やすことがイエスの活動の主眼であった―「私が来たのは罪人を招くためである」(9:13)、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(11:5-6)。
▼イエスの病者に対する癒しには「仕える」「奉仕する」の意の動詞「セラペウオー」が使われている。すなわち治療ではなく「看病」、「手当て」である。イエスが神の国を実現するために行なったことは、奇跡的に病気を完治させたというよりも、「手当て」に献身することであり、隣人の苦しみを共有しようとする行為であった。目の見えない人、耳の聞こえない人が見え、聞こえるようになったのではなく、そのままの状態で良しとされ、誰もが被造物である人間として互いに支え合い、助け合って神の栄光を表わすことになる。それが神の国だとイエスは言うのだ。
▼教会では「あなたは罪人です、だから悔い改めて福音を信じ、イエスを救い主として受け入れなさい」と言われると思われがちだが、イエスはそうは言わない。「時は満ちた、神の国は近づいた(直訳は既に来ている)、悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)―ということは、悔い改めをする前に神の国がまず始めにあり、悔い改めに先行しているのだ。「悔い改めをすれば罪が赦される」のではなく、「最初から罪が赦されているから、だからこそ、悔い改めをする」のだ。それは、日常生活の中で神を忘れて生きている者が、再び「神は私を愛してくださっている」というメッセージに人生の土台を求め直そうとする不断の営みである。
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