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ゆるされたものとして

「赦された者として」 ヨハネによる福音書 8章 1〜11節 山田雅人 2020.8.30

2020.8.30 メッセージ要旨 『赦された者として』
ヨハネによる福音書8:1〜11 山田 雅人

▼イエスのところに姦通の現場をとらえられた一人の女性が連れてこられる。当時のユダヤ教社会では、姦淫は死罪にあたる律法違反であった(レビ20:10、申22:24)。女性を糾弾しようとした人々の目的は、イエスを訴える口実を作ることにあった―「あなたは(姦淫を犯したこの女性を)どうお考えになりますか」。この問いに対して「死刑にしなさい」と言えば、日頃からイエスが民衆に説いていた「赦し」の福音は無に帰し、反対に「この女性に罪は無い」と言えば、律法に真っ向から対立する主張となり、訴えられる格好の材料となってしまう。
▼イエスは質問に対して間を置き、指で地面に何かを書き始めた。いつまでたっても答えぬイエスに立腹し、何度もしつこく問い続ける彼らに、イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と答えた。さすがにイエスのこの言葉を聞いて、石を手にする者はなく、年長者から始まって全員がその場を去って行った。女性だけがイエスのもとに残ったが、彼女が去らなかったのは、イエスと向き合って赦しを乞わねば自分の罪は赦されないと思ったからだろう。事の全てを見てとったかのように、イエスは女性に告げる―「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」。
▼この言葉の中にこそイエスの福音がある。「これからはもう罪を犯してはなりませんよ。そうすればあなたを赦しましょう」という条件つきの勧告がこの世の原理だが、イエスのメッセージはあくまでも正反対だ―「あなたはすでに赦されている。だから罪を犯してはならない」。つまり、いっさいの条件を課すことなく、最初から無条件で赦されているという福音である。それは、「悔い改めをしたから罪が赦される」のではなく、「罪が赦されているからこそ、悔い改めをするのだ」という福音である。福音が律法にも悔い改めにも先行しているのだ。
▼イエスの語る無条件の赦しの福音は、人間をいっそう駄目にするのではないかという危惧もあろう。女性がその後再び罪を犯した可能性も否定はできないからだ。しかしそれでも、この世界のただ中で、イエスの赦しの福音は語り続けられる。真実に人を立ち直らせることができるのは、厳罰でも裁きでもなく「赦し」であるからだ。
▼自らの十字架の死を賭け、神の無条件の愛と赦しに立ち帰れと説いたイエスの福音は、神の摂理に従わぬこの世界で、今も語り続けられている。この世に生きる我々は、そのまま慈愛の神によって受け止められ、赦されている。だからといって、この世は神の御心に沿わぬままで留まっていてよいはずはない。「赦されている」という事実をことあるごとに確認し、感謝をし、そして「赦された者」としてどう生きるべきか、ということを、祈りつつ常に問い続ける者でありたい。
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