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まねきにこたえて

ヨハネの黙示録 3章 14〜22節 「招きに応えて」 2020.5.3 山田雅人

▼黙示録2章から3章には、7つの教会に対して復活のイエスが勧告をする形でメッセージが語られるが、当該箇所はその最後、ラオディキアという小アジアの都市にあった教会に対して語られたもの。ラオディキアは交通の要の都市で銀行の中心地であり、毛織物の生産と目薬の輸出で経済的に有名な都市であった。
▼しかし、ラオディキアの教会は経済的豊かさのために信仰が「生ぬるく」なってしまい、その不信仰のゆえに「生ぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(16節)と言われている。一見豊かに見えた彼らの実際の姿は、神の目から見れば「惨めで、哀れで、貧しく盲目で、裸」であった(17節)。そのような、生ぬるいラオディキアの信徒たちに、復活のイエスは「熱心に努めよ。悔い改めよ。私は戸口に立って叩いている」(19〜20節)と言うのだ。
▼イエスは、ラオディキアの人々が本当の意味で豊かになるために、3つのもの(火で精練された金、身につける白い衣、目に塗る薬)を買うように勧める。これは痛烈な皮肉である。ラオディキアの町は、金を扱う銀行と毛織物と目薬で有名な町であったからだ。その3つで栄えている町なのに、あえてそれを買え、とイエスは言うのだ。その意味は、金より尊い信仰を持ち、信仰者としての内面を磨き、信仰に開眼せよ、ということだろう。
▼このイエスの招きの言葉が、有名な20節の「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」だ。この言葉は未信者に対して伝道する時に用いられることが多いが、当該箇所を見る限り、イエスの招きは決して未信者に対するものではなく、既に信仰を表明している教会の信徒に対するものであることが分かる。「あなたがたは神に信頼します、と告白しておきながら、いつしかこの世のことに惑わされ、大切なものを見失ってはいないか。私がノックしているこの音が聞こえないか」そうしたイエスの招きであるのだ。
▼イエスは人が自分自身では気づいていない問題を直接語り、必要な人のところに行き、ありのままでご自身を受け入れるよう招き続ける。しかも、招く自らが出かけて行き、人の家の戸口の外に立ってドアを叩くのだ。そして、戸を開けるのは我々の自由意志に委ねられている。我々はイエスに招かれた時のことを思い出し、今も常にイエスが「私に無関心であってはならない、生ぬるくあってはならない」と、今も戸を叩き続け、招き続けていることを覚えたい。


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