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フィリピの信徒への手紙4章2〜7節 「喜びの手紙」 2019.8..4 山田雅人

フィリピの信徒への手紙4:2〜7 「喜びの手紙」 
                 2019.8.4 山田雅人

▼3つの手紙の集合体であるフィリピの信徒への手紙の特徴は、大半がパウロが獄中から書いたことと、「喜び」という言葉が幾度も出てくること。「獄中書簡」あるいは「喜びの手紙」と呼ばれる所以だ。当該箇所においてもパウロは「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4:4)と繰り返し勧告をする。自分が捕えられて牢の中にいる最中にもかかわらず、だ。このパウロの「喜び」の源泉はどこから来るのか。
▼ただ「喜びなさい」と言うのではなく、パウロは「主にあって」喜びなさいと言う。我々人間はいつも喜べるわけでは到底ないが、「主にあって」「主のうちにある」ならば、いつも喜んでいられるとパウロは言うのだ。パウロの言う「主」とは、冒頭1章6節に見出される―「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を成し遂げて下さると、私は確信しています」。あなたがたの中で善い業を始められた方、つまり「主なる神」である。「主なる神は、イエスの再臨の日まで、今も、将来も変わらず私たちに対して善い業を成し遂げ続けて下さるでしょう」:この確信によって彼は獄中でも喜んでいられたのだ。
▼パウロはこの「善い業を成し遂げ続けて下さる」主において「常に喜びなさい」と語り、4章1節では、この主によって「しっかりと立ちなさい」と語り、続く2節では、この主において「同じ思いを抱きなさい」と語る。パウロは獄中にありながら、この主なる神が共にいて下さるという信仰に堅く立ち、離れた所にいるフィリピの教会の信徒たちも自分と同じ信仰に立っていることを確信できたから、ますます喜んでいることができたのだ。
▼パウロにとって「喜ぶこと」、「祈ること」、「感謝すること」は、いわば三位一体の事柄であった。それはキリスト・イエスにおいて我々に求められている神の意志でもある。だからこそ我々も主体的に、喜びをもって、「この感謝と願いとを、主イエス・キリストの御名によってお捧げ致します」と祈るのだ。我々はイエスの名のゆえにこそ、真に喜び、祈り、感謝することができ、そしてそのことを神が我々に求めているのだということを心に刻みたい―「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:23〜24)








 

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