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ちがいこそたから

創世記 11章 1〜9節 「違いこそ宝」

創世記 11章 1〜9節  「違いこそ宝」  山田 雅人             
▼紀元前6Cのバビロニア捕囚期に、捕囚民たちの手によって記された「バベルの塔物語」。バビロンのあった南メソポタミアには、紀元前3千年頃から、実際に「ジックラト」と呼ばれる、ピラミッドに匹敵する階段状のレンガの塔が建てられていた。「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた」(3節)は、イスラエルとメソポタミアの建築文化の違いを表している。塔建設の目的は「神の降りてくる場所として天と地を結び、世界の中心を設定する」ことであり、4節の「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」という言葉は、そのことを表している。さらに11節の「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」という記述は、当時西アジア全域の共通語としてバビロニア語が用いられていたことを示している。
▼捕囚民として連行され、このようなバビロニアの強大な力を目の当たりにしたイスラエルの民は、いったいどのような気持ちでバベルの塔物語を記したのだろうか。彼らの中には、その圧倒的な富と権力を見て、バビロニアに残留した人たちも多くいたに違いない。しかし少なくともバベルの塔物語を記した人たちは、世界の中心に自分を置き、この世を統一しようとするバベルの塔が、結局は他民族や他の言語を阻害し、人と人との交わりをも阻害するであろうということを、深く鋭い洞察をもって見抜いていた。それが6節の「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ」の意味だろう。
▼この言葉は、「一つの民だけであったり、一つの言葉だけ話すことはよくない」ということ以外を意味してはいない。「一つであること、同じであること、違いを認めないこと、それはだめだと神が言われている」ということだ。言葉も一つ、民族も一つ、文化も一つになろうとし、権力者がこれを支配し、一つ所に集まって住んで散らされることのないようにとどまろうとすること、それはだめだと神が言われている。これはまさに、神がむしろ言語や民族の多様性を喜ばれているということを意味している。同じように植物や動物の多様性が地球の健康に欠かせないものであることは言うまでもない。
▼現代でも、互いの違いこそが宝なのに、自分たちの一つの思想によって人を統一しようとし、それに反対する者を権力で押さえつけ、その生き方までも脅かそうという愚かな行為が行われている。しかしそのような人間の罪を太古の昔から旧約聖書が批判し、互いの違いを認め合い、多様性の祝福を神が喜ばれているのだということを覚えたい。
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