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しゅはわれらのせいぎ

エレミヤ書 33章 14〜16節 「主は我らの正義」 2018.12.2

▼バビロニア捕囚民となり、あるいは外国に離散した南ユダの人々にエレミヤが慰めと希望を語る本章だが、23章の5〜6節にもほぼ同じ記事がある―「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。主は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。彼の世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの正義』と呼ばれる」。来たるべきメシアはダビデの子孫であり、正義と公正を行ない、神が義の神であることを証しする方であると言う。
▼バビロニア捕囚期は旧約聖書の成立や信仰の面で最も重要な時期の一つと言える。捕囚民のうち少数の自覚的な信仰者たちは、過去の歴史を振り返り、自分たちがこのような運命におかれるに至った原因を洞察する。その洞察の中から、創世記〜列王記に至る歴史書や預言者たちの言葉の編さんがなされていく。エレミヤだけでなく、イザヤやホセア、あるいはその前のアモスの預言も、彼らの生前には必ずしも国民に受け入れられるものではなかった。しかし国が滅ぼされた捕囚の時期に、彼らの言葉の正しさが改めて認められ、大切な預言の言葉として編集されていく。捕囚民たちは、神が人間の思いを超えて歴史を導く「義の神」であるのだ、という信仰に立ち続けたからこそ、捕囚の時代を克服できたのだろう。
▼イエスは「ただ神の国と神の義を求めなさい」と語った。神の義とは、人間にとって正しいことではなく、神の目から見て正しいことを意味する。イエスの生涯には、その誕生の時から、「この世の義ではなく神の義」というテーマが一貫している。彼は自分自身を捨て、世の中の弱い者の弱さを担っていく牧者となるために生まれた。威風堂々たる王ではなく、多くの人々にとっては認めがたい、逆説的なメシアである。にもかかわらず、私たちがイエスをメシア=キリストであると告白するのは、私たちの思いを超えたところに「神は確かに我々の正義である」ということを、イエスを通して見ることができるからだろう。
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