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あれののぱんさき

マルコ福音書6章30-44節 「荒れ野のパン裂き」 2018.10.7 世界聖餐日

▼高2の春休みにアメリカに行った時、ホームステイ先の家族がキリスト教の団体の中高生キャンプに連れて行ってくれた。昼間の野外活動のあと、夜の礼拝で聖餐式が行なわれ、何と、大きな塊のパンと、深い銀盃になみなみと注がれた本物の葡萄酒が回ってきた(中高生だぞ!)。パンはそれぞれが手でちぎって食べ、ぶどう酒は回し飲みして布でカップの口を拭う、というスタイルだ。さすがアメリカ、スケールが違う!さらに驚いたのは、どう考えても出席していた中高生全員がクリスチャンとは思えないのに、皆んなが聖餐に与かっていたことだ。聞けば、彼らの教派であるアメリカ最大のプロテスタント教派UCC(キリスト合同教会)では、聖餐式は受洗・未受洗にかかわらず行なっているとの事だった。今から40年近く前のことである。
▼5000人の共食物語・荒れ野に於けるイエスのパン裂きこそ、聖餐式の原型である。使徒言行録20:7―「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると…」は、初期のキリスト教会に於いて、礼拝の中心が「パン裂き」であったことを示しており、全ての福音書の最後の晩餐の時、イエスは「荒れ野のパン裂き」の時と全く同じ仕草と祈りをもって弟子たちにパンを裂いて与えている(マコ6:41)―「イエスは…天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて」、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き」(マコ14:22)。「荒れ野のパン裂き」が「最後の晩餐」の遥か前に先んじてあるのだ。
▼この物語の何が奇跡なのか。神の子なのだから魔法のようにパンと魚が無限に増える、だから奇跡なのではない。ヨハネ福音書の共食物語では、パンが増えたのは一人の少年が差し出した持ち物がきっかけだった。実際は一万人以上にものぼる群衆の中には、彼と同じように食糧を持ち合わせていた人はいただろう。ところがユダヤ教律法の食事既定(食前には手は洗い清める、汚れた者との接触は断つ、製造法の分からぬ食材は食べてはならぬ、等)に慣れ親しんでいた群衆にとって、不特定多数の人々との荒れ野での共同の食事など考えられない事だったのだ。その沈黙を破り、イエスの呼びかけに答えたのが大人ではなく一人の少年だったのである。イエスの招きに答えた彼をきっかけに、我も我もと慣例を破り、自分の殻を破り、自己を解放し、皆との連帯、一致に至ったことで皆が有り余るほどに食べることができた。それが奇跡である。
▼国際飢餓対策機構の主事に飢餓の実態を聞いたことがある。世界中の食糧は世界の民を十分に満たす量がある。問題は分配が上手くいっていないとのこと。我々はイエスの提示した分かち合いの奇跡に至っていないのだ。イエスは荒れ野に集まって来た種々雑多な人々全てを招いた。教会は皆が何の隔ても咎めもなく気軽に立ち寄り、そこで命の糧に与り、元気を取り戻していく場所のはず。果たして我々の教会がそんな場所として立っているか、そのことが問われている。
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