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がりらやにゆけ

マルコ福音書16章1-8節 「ガリラヤへ行け」  2018.4.1

▼「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(14:28)−ガリラヤはイエスの生まれ故郷であり、彼が宣教を開始した場所。ガリラヤのナザレから生まれ出て、ガリラヤでの宣教にその生涯を捧げたイエスは、ただ一度だけ上ったエルサレムにおいて、十字架刑に処せられる。そして復活したイエスは、再び、あのはじめの「ガリラヤへ行け」と我々に語るのだ。
▼復活した後イエスが現れるのがガリラヤというのは、新約聖書全体の中でも極めて珍しいこと。使徒言行録では復活者に会えるのはガリラヤではなく「エルサレムを離れるな」という言葉で語られ、ルカ、ヨハネに福音書でも復活者イエスと出会えるのは「エルサレムとその周辺」である。
▼ユダヤ教の宗教的伝統と権威を持つエルサレムとは対照的に、ガリラヤは宗教的にも文化的にもユダヤ教の中心から離れ、差別されていた「地の民」と呼ばれる民衆の生活する場所であった。しかしイエスはこのガリラヤの地の民とこそ交わり、福音を宣べ伝えていったのである。
▼マルコ福音書は、8節の「恐ろしかったからである」という記述で唐突に終わり、ただ読者に「ガリラヤへ行け」と記すのみである。それは「復活者イエスを目に見える形で描いたところで意味はない。むしろ、生前のイエスの生とことばに注目し、そのイエスが私たちの心の中に生き生きと生き始めるその時にこそ、イエスは復活したのだ」(具体的にはマルコ福音書をもう一度読み直してくれ、というマルコの思い[青野太潮])という、マルコが私たちに促す信仰に他ならない。
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