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にじをみておもう

創世記 9章 8〜17節 「虹を見て想う」 2018.11.11

▼ノアの箱舟の物語で、洪水がひいて箱舟から出てきたノアと神は「もはや二度と洪水を起こして地を滅ぼすようなことはしない」と言って契約を結ぶ。契約のしるしは虹であり、「虹を見るたびに私はその契約を思い起こそう」と神は言う。この契約で重要なのは、「箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる」(10節)と言われているとおり、神が人間だけでなくすべての生き物と契約を結んだこと、いわば「全環境的」契約(高柳富夫)である点だ。
▼洪水の水とは、天地創造以前にあった「混沌の水」のこと。神は創造によって、最初は混沌であった水をきちんと分け(1:7「大空の下と大空の上に水を分けさせられた」)、押しとどめ、制御しているのだ。ここに洪水が起こったということは、神が創造された世界が最初にあった混沌に戻った、ということを意味する。ひとたび神が水を押さえつけている手を離し、水を制御することをやめてしまえば、最初にあった混沌の水はいつでも戻ってきて、この世界を無秩序の中に呑み込んでしまう。ノアの洪水とはそういう出来事なのだと著者は語るのだ。
▼混沌という悪は神の創造によって無にされたわけではなく、神によって制御されている―つまり創造の業は今でも続いているということである。天地創造は遠い過去の1回限りの出来事ではなく、今に至るまで神が創造活動を継続しているからこそ、この世は混沌の水に呑まれることなく維持されている。この思想は、この世の全ては神の被造物にすぎず、最初から自主自律的な存在ではないのだ、という「創造信仰」の考え方である。
▼我々の人生における雨の時、洪水の時には、虹を見て思い出したいと思う。我々が他者に対して、全ての命に対して誠実であり、慈しみに溢れ、そして神を知ることによって、我々の人生における雨は必ず上がり、洪水は必ずおさまるのだということを。そして、神がこれは永遠の契約だと言われたことを信じて歩む者でありたい。
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