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ゼファニヤ書 3章 14〜18節 「残り者に福音」 山田雅人
2018.12.16

▼エレミヤより少し前に南ユダ王国で活動した預言者ゼファニヤの時代、ユダはアッシリアに隷属し、異教の神を崇拝し、神殿には異教神の像や祭具が飾られていた。列王記下には、宗教改革を行なったヨシヤ王がこれらをことごとく破壊した様子が描かれ(23章)、当該のゼファニヤも3章の最初に、この時代のエルサレムと人々の様子を記している―「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は。この都は神の声を聞かず、戒めを受け入れなかった。主に信頼せず、神に近づこうとしなかった」。
▼しかし神は、そのエルサレムを滅ぼし尽くさず、一部の者を残すと言う―「わたしはお前の中に 苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は 不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い 彼らを脅かす者はない」(3:12)。神はイスラエルの民の中の「残りの者」、すなわち神の名を避けどころとし、不正を行わず、偽りを語らぬ社会的弱者たちを生き残らせ、彼らが神の救いの担い手となり、彼らを通して平和が訪れると言うのだ。
▼「お前の主なる神はお前のただ中におられ(17節)」「イスラエルの王なる主はお前の中に(16節)」−中とは「人々の間」を意味する。ヨハネ福音書冒頭の「言は肉となって私たちの間に宿られた」も同じ。イエスは人と人との「間」に宿ったのだと語られる。クリスマスの出来事は、個人の上に起こる出来事ではなくて、私たちの間に起こる出来事なのだ。だからクリスマスの意味は、人と人との間を見据えることによって分かる。自分を恥じざるを得ない、取るに足りない私たち人間同士の作り出す間にこそ、神が働いてくださる。だから私たちは安心して自分の無力さを自覚することから始めることができる。
▼イエスが仲立ちとなり、私たち人間同士の間に宿られることにより、奢り高ぶりが打ち砕かれ、自分を低くし、自分だけでなく他者のために、という関係性の変化が生まれる。そこにクリスマスの出来事の意味があり、真のクリスマスの喜びがあるのだろう。
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