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「神はAIならず」ヨハネの手紙一 4章 13〜21節 山田雅人 2018.4.22

▼「神は愛なり(人工知能AIではない)」―その根拠は、創造の業に遡る。神がこの世界を創造されたのは、創造が神にとって不可欠の行為であったからだ。もし神が愛とするならば、神はただ一人で孤立して存在するようなことはないはず。神は愛であるゆえに、愛の対象を必要とされ、その意味で創造は、神の愛の性格から必然的に生まれたものなのだと言える。
▼神が愛であるもう一つの根拠は、創造において神が人間に自由な意志を与えられたということだ。強制や服従といった自発的でない愛は本物の愛ではなく、自由な応答関係がなければ愛とは言えない。もし神が愛ではなく、ロボットのように従順に神に従う人間を創ったのだとすれば、神と人間との個人的・人格的なつながりはなかっただろう。
▼さらに注目すべきは、多くの聖書学者が指摘するように、創造は終わったのではなく、今も続けられているということである。神が愛の神でなければ、天地を創造した後、放置したであろう。しかし神は愛であるため、創造の業が終わった後も、忘れずに絶えずそれを見守っていかれる。この世を創造されただけでなく、その愛を永久にこの世界に注がれる神を認識し、「アッバ(父よ)」と呼んだのが、イエスである。
▼イエスの地上の生涯が示すのは、愛が彼の心から出たものではなく、自分で創造したものでもなく、神の愛に対する応答であり、神自身の反映であることだ。このイエスが私たちに求めた最も重要な掟が「神を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」だ。私たちは愛する時、神の面影を帯び、神の生活を送っているのだろう。
▼「いまだかつて神を見た者はいません」(12節)と言われる通り、私たちは神を見ることはできない。聖書の語るアガペー(慈愛)は、人間にはなかなか出来ることではない。しかし私たちは、心の内に働くイエスを通して、神の愛のうちにとどまることができる。神が愛であるという証しは、書物や議論の中ではなく、ただ私たちが慈愛の生活をすることの中にあり、そこに、見えない神が確かに見えるのだ。
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