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汽灰螢鵐判12章14〜26節 「不要の重要」 山田 雅人 2018.7.22

▼人間の身体には何一つ不要なものがなく、それぞれが独立し、同時に全部がつながっている。各部分が多様でありながら、決してバラバラではなく、しかも相互に依存しあって一つの身体を構成している。この人間の身体を、パウロはキリストの身体に譬え、さらには教会に譬えた。コリントの教会の信徒同士の関係に問題があり、教会の分裂に一致をもたらそうとしてパウロが語ったのが、この身体の譬えである。
▼まずパウロは、キリスト者の一致の根拠を「洗礼」に置く。私たちが洗礼を受けた目的は、キリストの体の一部になるためだと言う―「一つの霊によって、私たちは、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」(13節)。
▼24節の二文の間には、原典には「しかし」という接続詞が記されている―「見栄えのよい部分には、そうする必要がありません。(しかし)神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました」。「人間は見栄えの悪いところを隠す。しかし、神は見劣りのする部分を引き立たせる。それで、体に分裂が起こらない」と言われている。つまり、人間が隠そうとする見栄えの悪いところ、小さい部分、弱い者をこそ神は大切にするということだ。我々が集団の中で小さく弱い者を大切にするなら、分裂が起こらないと言うのである。
▼これと同じことをイエスも、パウロと同じく人間の身体と教会に譬えて語っている―「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められるほうがましである…..もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい」(マタイ18:6〜)。教会という一つの身体の中で、もし最も弱く小さい者をつまずかせるような者がいたとすれば、たとえそのつまづかせる者を犠牲にしても、一つのからだの中では小さな者を優先的に守るべきだということだ。
▼自分の体の傷の手当ては、一番痛むところを真っ先にするのと同じように、キリストの体の一部である我々は、自分のための最優先事項ではなく、最も弱い人のために出来ることを最優先にしたいものだ。

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