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ホセア書11章1〜9節 『どうして見捨てられよう』
                    山田雅人 2018.8.26

▼「神の愛」と見出しのついたホセア書11章には、神が自分を裏切ったイスラエルの民をどこまでも赦し、見捨てずに愛し続けようとする姿が描かれる。「愛」という言葉がほとんど出てこない旧約聖書の中で、ホセア書には19回も「愛」が語られる。イスラエルが神の愛によってエジプトから解き放たれたこと、しかし神を裏切り異教の神バアルに従ったこと、その結果神の裁きが臨み、アッシリア帝国の支配に喘ぎ苦しむこと、しかし神はそんなイスラエルをどうしても見捨てることができないことが告げられる。
▼8節から神自身の思いなおしの言葉が始まる―「ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか」。アッシリアによる国家の滅亡という審判のあとも、神はイスラエルを見捨てることができず、彼らを憐れむ気持ちに突き動かされるのだ。その理由は「わたしは神であり、人間ではない」(9節)から。ホセアは、イスラエルの民の心が、かつてイスラエルを愛した神に向けられれば、イスラエルは救われるはずだと信じたのだろう。
▼ホセアにはゴメルという妻がいた(1,3章)。神は最初ホセアにこんな命令をする―「行け、淫行の女をめとり 淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ」。ここには二つの比喩が語られている。実際にホセアの妻ゴメルは、ホセアと結婚して3人の子供を産んだあと、彼のもとを離れ、奴隷市場で身体を売る身となる。もう一つ、淫行の女とはイスラエルのことを指しており、イスラエルが神以外のバアルを崇拝することが「姦淫」に譬えられる。神はホセアに「淫行のイスラエルのところへ行って預言し、彼らに私の赦しの言葉を語れ」と命じたのだ。
▼神から離れ、裏切り、言うことを聞かぬ民に、父なる神はまるで母親のように「ああ、お前を見捨てることができようか」、「私は激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる」と言われる。また、「もはや怒りに燃えることなく、再び滅ぼすことはしない。私は神であって、人間ではない。」と言って怒りをおさめられる。愛が怒りに打ち克つのだ。それは我々に自明のことではない。しかし他ならぬその神に私たちは救われ、その神を証ししたイエスによって赦され、生かされている恵みに改めて感謝したいと思う。
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